3.大正期の消防

(2)消防制度

大正期の消防

職員の待遇改善

 明治後期から蒸気ポンプや消火栓の普及など、消防力の強化が図られたことにより、多発していた火災も減少するに至った。しかしながら、消防職員の待遇はそれまでと少しも変わるところがなかった。また、消防の機械化に伴い専門的な知識と経験を有する質の良い職員を採用する必要に迫られていた東京警視庁は、大正2年(1913)6月13日、警視庁官制及び警視庁細則を改正して職員の優遇措置を講じることとした。 まず、消防本部を消防部と改称し、消防組とは別に新たに消防手の階級を設けて判任官待遇とした。これにより、それまで雇員であった消防機関手、消防調馬手を消防手として任命し、官吏待遇としたのである。また、新たに優秀な消防組員等から消防手を募集して、新設する消防練習所(それまでの警察消防練習所から分離独立し、大正3年(1914)10月1日開設した)で新任教養を行い、各消防署へ配置することにした。

(「東京の消防百年の歩み」より)

 こうして消防手を判任官待遇とし、1か月10円の初任給を支給して優遇するようになったのだが、反面、それまで認めていた副業はこの機に禁止とし、また規律も厳しくなったため、退職する職員がかなりいたようである。

特設消防署規定

 大正8年(1919)7月16日、勅令により、東京と大阪以外の都市に公設消防署を設置するため、「特設消防署規定」を制定した。これにより、京都市、神戸市、名古屋市、横浜市の4都市に初めて公設消防署が設置されることとなった。それに伴い消防事務は、京都府、兵庫県、愛知県、神奈川県が掌ることとなり、消防に従事するものは判任官待遇の消防手となった。ここにおいて消防は国家行政の中の重要な一部門となり、いわゆる「公設消防」として権力消防へ衣替えしていくのである。