1.歴史資料が語る意義
善光寺地震に関しては、今日まで多くの文字資料や実物資料などが残されている。善光寺地震の災害状況や諸藩の対応状況などを検証するためには、こうした歴史資料を用いることが多い。
一概に善光寺地震を復元するための歴史資料といっても、様々な形態で残されている。大きく分けると、文字資料としての古文書や記録類、災害情報を第三者に伝えるための絵地図類、そして災害情報を不特定多数に伝えたかわら版類、の3つになるだろうか。
古文書類としてまずあげられるのは、各村から逐次にわたって藩にもたらされた文書類であろう。藩では
これらの情報を編集し、藩内の災害状況全般について早めにつかもうと努力している。松代藩主であった真田家に伝えられた文書群の中には、地震の被害状況や藩の施策などについて年次をおって編纂された記録類が多く残されている。
一方、記録類に分類されるものの中には、被災体験を個人の立場から記録したものがある。『地震後世俗語之種』はまさにその好例である。これは、上水内郡権堂村(現長野市)の名主永井善左衛門が著したものである。正編5冊と後編6冊からなり、豊富な挿絵があるのが特徴である。この写本と思われるものが真田家と国立国会図書館に伝わる。2つの写本がどのような経緯で写されたのかは今後の検討課題といえよう。
出典「ドキュメント災害史1703-2003」
2.被災体験の記録化
地震の体験を記録として残す、いわば震災体験記も書かれるようになります。これらには、被災者の動向や感情が直接的に表現されており、震災の実像を伝えています。
こうした、地震に関する被災体験の記述は、本格的に一つの冊子としてまとめられるものと、日記などに書き綴られるものとがありました。
「地震記事」を著した鎌原桐山は、自身の震災体験を記した「丁未地震私記」を著しています。その書き出しは、地震によって被災した自宅の様子からはじまります。「地震記事」がいわば公的な立場での客観性を重んじているのに対して、これは自らの被災体験の記述を重んじている点で桐山の震災の記録化に対する態度がわかります。
「地震後世俗語之種」は、権堂村・永井善左衛門幸一が著したものです。正編五冊・後編六冊からなります。この本の特徴は、何といってもその挿し絵にあります。臨場感のある筆致で、災害の様子を著しています。真田家が伝えた同書は永井家の原本を写したものです。ただ、なぜ、だれが写し、どうして真田家に伝えたかは不明です。
これら地震体験記は被災した場所や被災状況によって記載内容に違いが見られ、限られた地域の具体的な記録として重要な意味を持っています。
出典「震災後150年善光寺地震―松代藩の被害と対応―」